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2021年4月29日木曜日

新渡戸稲造の至言から(4月29日)

 

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「大学というものはサムシング・オブ・エブリシング、エブリシング・オブ・サムシングということをもって理想とする。」(新渡戸稲造『内観外望』)

 

・「サムシング・オヴ・エブリシング」とは、全てを少しずつ知っている、すなわち教養を持つこと、そして、「エブリシング・オブ・サムシング」とは、ある事柄のすべてを知っている、即ち専門性を持つことを意味する。新渡戸は、そのどちらも有するような教育があるべき姿だとした。(藤井茂・長本裕子著『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』の128頁参照)

 

・広い教養と深い専門性はどちらも重要である。「木を見て森を見ず」では、全体像を見失い、道に迷ってしまいがちである。

 

・かつては教養のある「哲学者」が尊敬されていたが、現代は「専門家」が「先生」と呼ばれて敬まわれる。

 

・「井の中の蛙」になるな。

 

・真に頭のいい人は、難しい専門的知識も、一般人に分かり易く説明できる。

 

・カーネギー(Andrew Carnegie)の墓には、「自分より優れた人を使うすべを知っている者、ここに眠る」(Here Lies a Man Who Knew How to Enlist in His Service Better Men Than Himself.)と記されている。

 

学ぶことを止めてしまった人は年老いる。学び続ける人はいつまでも若い。」(ヘンリー・フォード)

 

・「本当の教養とは、知識を仕入れるよりも、自分なりの見方、考え方を獲得することではないだろうか。」(佐伯啓思)

 

・「感謝の念は教養の結実である。」(サミュエル・ジョンソン)

・‛None of the great discoveries was made by a “specialist” or a “researcher.”’ (Martin H. Fischer)

 

・‛The more the world is specialized more it will be run by generalist.’ (Marcel Masse)

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