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2020年8月11日火曜日

新渡戸稲造の至言から(8月11日)

 

811

「腹の立つのも道理(もっとも)な理由があろう。理由なしに腹立つは狂気の沙汰。理由あるとき腹立つは通常、人のなすこと。理由があっても腹立てぬ人こそ非凡の人。」(新渡戸稲造『一日一言』)

 

・新渡戸稲造は、この「非凡の人」になることを自らに課し、人々にも奨めた。ここで思い出すのが、新渡戸が12歳頃のこと、誤解から叔父にこっぴどく叱られるが、一切弁解をせず、誤解を解く弁明もせず、誤解を招き信用のない自分の日頃の行動がいけないと、人を責めず、自らに言い聞かせた新渡戸青年の話である(藤井茂著『続 新渡戸稲造75話』、「皮の手袋事件」より)。そして、のちに新渡戸が挙げたのが、「見る人の心こころに任せおきて 高嶺に澄める秋の夜の月」。人にどう思われても構わない、ただ自らは清らかに生き、人々の暗い夜道を明るく照らす存在に。

 

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・「非凡の人」を目指すのは並大抵のことではない。「仏の顔も三度まで」というように、仏様のような人でも、何度もひどいことをされれば怒りたくもなる。でも、そうしてしまうと、仏様もただの人?

 

・「人の口には戸が立てられない」というように、人は何とでも噂怖さを言う。でも、「人の噂も75日」、堪えるか無視して、自分の道を全うに歩いていれば、怖いものはない。(ただ、「逃げるが勝ち」という言葉もある。「君子、危うきに近寄らず」とも。)

 

・腹を立てるとストレスになるし、エネルギーも使う。腹を立てないことは健康につながる。

 

An angry person consumes lots of energy, so he will get hungry. A hungry person will easily get angry, so it is a vicious circle.

2 件のコメント:

  1. 交渉には、理屈と感情の両方が絡む。理屈で解決できる問題は徹底的に議論すれば良い。しかし、感情の問題は議論する程、解決は困難になる。
    この際、厄介なのは人間(おそらく動物全体)は感情で動いていることだ。
    理屈で解決できないものには宗教や倫理、愛国心なども含まれる。
    まあ、その解決できないものを解決するのが政治なのだが、所詮、妥協である。多数決や投票も、その道具に過ぎない。
    「理由があっても腹立てぬ」とは、感情を持ち込まないということだろう。
    本人自身の話なら自ら納得すればよい。だが、集団同士の交渉ではそうは行かない。利益代表者として数多くのステークホルダーがその一挙手一投足を見ているからだ。
    思い出すのが、ポーツマス交渉である。理屈では我が軍は戦力の限界を来たし、これ以上の戦争継続は困難であったから、露と講和をせざるを得なかったのである。
    しかし、国民はそれでは収まらない。そこで日比谷事件が起きたのだった。
    SNSに代表される現代は、集合知の時代である。腹を立てぬことは難しい時代になった。
    集団の怒りを治めるには「誤解を招き信用のない自分の日頃の行動」だけでは足りず、カリスマや権威の力を借りねばならない。アルジェリア問題でドゴールはそれをやってのけた。

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    1. 日本史、世界史にも触れたコメント、どうも有難うございます。ともすれば、人間は、最も理性的(合理的)かつ、最も感情的(情熱的)な動物かもしれない。本能よりも、理屈や感情で動いてしまう?特に、集団になるとその傾向は強いのかも。特に、現在のSNSの発達した社会では、じっくり考えるより、即刻表現することが優先され、それが人の琴線に触れてしまうことがある。それでも、新渡戸はきっと、相手が感情的になっても、自分は冷静に、穏やかに、ということなのだろう。凡人の私始め一般人には、なかなか成れない「非凡の人」、仏様のような人、である。

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