8月16日
「吾人は社会の一人で、自己の周囲には大勢の人が沢山いる。これらの人に対して、ただの権利義務の交換ばかりで臨むわけにはいきません。常にその間には何らかの恩を負っております。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)
・新渡戸が良く説く、感謝、感謝の心。「持ちつ持たれつの関係」。相手がいるから自分の存在もある。
・仏教で、自分は「生きている」のではなく、「生かされている」。周りの人のお蔭。だから、勝手に自殺してはいけない、というお話を聞いたことがある。
・人と人との関係は「権利義務」(契約的)関係のみではいけないと新渡戸は説く。すなわち、そこには冷淡(クール)な関係以上の、心の関係を大事にする新渡戸の思想が表れる。新渡戸は、「思」と「恩」、ThinkとThankは似ているかと言っていたそうだ(藤井・長本著『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』244頁)。デカルトは、「考える、ゆえに我あり。」(je pense, donc je
suis)と述べたが、新渡戸流に言えば、「考える、ゆえに我感謝する。」(I think, that I
thank)ということか。
権利義務には法定、約定があるが、これらのいずれでもなく、義務ではない行為がある。これを民法では事務管理という。つまり相手を思い図って勝手に行動することである。基本的に善意であるが、気を付けないと善意の押し付けになりかねない。
返信削除権利義務の関係にも、恩が関わってくるが、これがあまり首をもたげすぎると、権利義務に影響を及ぼすこともある。主従が逆転して、契約を本当は結びたくはなくても、恩があるから契約したという例は多い。ことに連帯保証などはその最たるものである。
恩も程々が良い。