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2020年8月14日金曜日

新渡戸稲造の至言から(8月14日)

 

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「美というものは形に現れたものではなく、美をなす業(わざ)であって、無形のものでありますから、心の美が外に現れて美を成すので、そこに美の光が添って醜い顔が美しく見えるのであろうと思われます」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・「大人になったら自分の顔に責任を持て」というのは、自分の行動に責任をもてと同義だろう。

「人相が良い」とか「人相が悪い」というのも、その人の善悪の行動、心が表れているのだろう。

 

・どんな人でも子供でも、笑顔は美しく可愛い。逆に、怒ったりむすっとしたりする顔はあまり見たくない。

 

・何日か前の新島八重の揮毫「美徳以為飾」を思い出す。

・「美しく年取りたい」とは、なにも美容や外見の話ではない。「内面から美しく年取りたい」ものである。




1 件のコメント:

  1. 新渡戸は、如何なる目的で「婦人に勧め」たのだろう。
    勧めたということは婦人は二人称であり、明確に「醜い顔が」と言っているということは、あなたは顔が醜いが、心の美が美しいから美しく見えるといっているのだろうが、心が美しいと言われても、顔が酷いといわれて喜ぶとは思えない。 
    美的感覚は受け手の内面的な活動であり、どのように解釈するかは、形に現れたものと直接の関係はない。
    顔が美しいか醜いかは、直接的には視覚からの情報であるが、相手に対して好意を持つか否かでバイアスが掛かるから、内面的な感覚に影響を与えるだろう。
    まあ、思い込みに過ぎないのだが、要するに「あばた」も「えくぼ」の類である。
    私の主観だが、怒ったりむすっとした顔が素敵な女優さんがいたな。ともさかりえさんの怒り顔は様になっていたね。同じ怒り顔でも泉ピン子さんは、かなりキツイ感じだが、乙羽信子さんは、どこかに温かさのある怒り顔だった。演じている役にもよるのだろうが。

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