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2020年11月25日水曜日

新渡戸稲造の至言から(11月25日)

 

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「二十世紀の悩みは、一方に傾いた知能の発達とこれに平衡すべき精神的発達が閑却されて、両者の間に権衡が乱れたからであると思う。」(新渡戸稲造「現代世相に関する一、ニの所感」『実業之日本』)

 

・新渡戸が指摘した知能と精神の不均衡という20世紀の悩みは、21世紀も継続された問題である。見方によっては、その不均衡は、さらに拡大しているのかもしれない。だからこそ、新渡戸が教育に重きを置いたように、知育以上に徳育に力を注がなければならないのかもしれない。

 

・精神の教育について、新渡戸は、陽明学、神学、キリスト教等の宗教を取り入れることも効果があると考えていたようだ。(藤井茂・長本裕子『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』348頁参照)おそらく、神道、武士道等の要素も肯定的に捉えていたのだろう。

 

・いくら科学技術が発達しても、それを使用するのは人間である。その人間の精神性によって、科学技術は、人類の発展にも、人類の滅亡にも、使用され得るのである。

 

・21世紀に入り、「人工知能」(AI ; Artificial Intelligence)が開発され、将来の人間社会を大きく変革するものとして注目を浴びている。一方、「人工精神」(Artificial Spirit?)などあり得ない。「精神」には、妖精と神が宿るように、人間の心のより深い所、見えない所にあり、頭脳のみでは解決できないことが多いからだ。

 

・精神を落ち着かせるには、瞑想する、座禅を組む、修養する、修行する、祈る、お参りする、黙祷を捧げる等、宗教的、儀式的なことも必要なのかもしれない。頭を空にする、心を空にする、逆説的だが、そんなことが精神の発達には効果的なのかもしれない。

 

・人間が健康に幸せに暮らすには、知能、精神、身体、これらの権衡を保つことが重要である。だから、知育、徳育、体育のバランスの取れた教育が推進される。

 

・‘When you have no choice, mobilize the spirit of courage.’

・‘It must be of the spirit if we are to save the flesh.’ (General Douglas MacArthur)

・‘Physical strength is measured by what we can carry; sprititual by what we can bear.’

 

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