2月13日
「空中には声があって、たえず語っているのだが、われわれの耳は、その声を聞くにはあまりにも聴く力がない。大空には文字が大きく書かれているのだが、われわれの眼はあまりにも鈍くて、その形を読み解くことができない。」(新渡戸稲造『編集余録』)
・何故人間は、歴史からも自然からも上手に学ぶことが出来ないのだろうか。
・「教訓から学ぶ」(learn
from lessons)とはどういうことか。
・分からないのか、分かろうとしないのか、分からないふりをしているのか。
・新渡戸は、かつて、「自分は神様が判らなくなったけれど、宇宙には何か偉いものがある、Great
Lawがある。」と日記に書いた。(藤井茂・長本裕子著『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』50頁を参照)自然の摂理というものだろうか。何か、人間の制度や考えを超えた大きな力である。とても悩んで神様に祈る、でも叶わない、裏切られた気持ちになる、それでも、何か大きな力、流れを感じることがある。やっても頑張っても駄目な時でも、その大きな力があるから、何かを信じて生きていける。相当悩み苦しんだ人でないと分からないことだろう。
・大きな強い力こそ、見えない所にあったり、分かりにくかったりする。だから誰でもが持てるものでもなければ、理解できるものでもない。だからこそ、もっと耳を澄まし、もっと眼を鋭く働かせ、感受性を豊かにすることが必要になる。すると、その強く大きな力を感じ取れるようになる。
・ある時、停電になった。皆は慌てふためいた。一人静かに仕事を続けた人がいた。その人はぽそっと言った。「目の見える人は不便だのう。」と。
・心眼の鋭い人は、目の見える人より、より周囲の様子が判り、人の心がわかる。
・‛Around us
there is the presence of evil. The devil
is at work. But n a loud voice I say: God is stronger.’ (Pope Francis)
・‛God's voice is still and small, the voice of a sparrow in a
cyclone, so said the prophet Isaiah, and we all say thankya. It's hard to hear
a small voice clearly if you're shitass drunk most of the time. ‘(Stephen King)
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