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2020年8月31日月曜日

新渡戸稲造の至言から(8月31日)

 

831

「犯罪者を改善しようとする者は、自分の被保護者に、その犯罪名を言ってはいけない。彼らに暗い過去を想いおこさせれば、過去の暗黒へ飛び込ませることになる。悪人には、悔い改めれば楽園に入るであろうと言え。そうすれば、彼は評判以上の者になるだけでなく、過去の自己自身を超えた者となるであろう。」(新渡戸稲造『編集余禄』)

 

・人を叱るより褒めて育てる方が効果が上がるそうだ。実際、褒めることばかりしたサッカー・チームと、注意点ばかり指摘したサッカー・チーム、前者の方が良い成績を修めたという実験結果もあるそうだ。

 

・新渡戸は、人を信じ、明るい未来を描くことを忘れない教育者だった。

 

・絶望的な時ほど、人は、希望の光を必要とする。

 

・人は全能ではないけれど、無限の可能性がある。

 

・ゼロ(零、0)は、無限(∞)につながる。

 

・他人は変えられないけれど、自分は自分で変えられる。

 

・楽しい未来を描けば、苦しい時も頑張れる。山登りみたいなもの:頂上で美しい景色が待っている、美味しいお弁当が食べられる等思えば、険しい道も進める。

・「彼(犯罪人)は評判以上の者になるだけでなく、過去の自己自身を超えた者となるであろう。」という新渡戸の言葉には一理ある。捨てるものもないので、名誉や地位等、まわりの目や世間体を気にせず、信念に基づいて行動できるのが、こういう人たちかもしれない。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」という西郷南洲の至言を思い出す。

 




今日のことわざ

A drowning man will clutch[catch] at a straw.

溺れる者は藁をもつかむ

*補足
willは未来の意味だけではないので注意。ここでは、「そういうものだ」という習性を表している。
straw:ここでは「わら」の意味。飲む「ストロー」もこの単語。


2020年8月30日日曜日

新渡戸稲造の至言から(8月30日)

 

830

「俺には本線はないのだから、脱線なんかありっこない。」(『新渡戸博士追憶集』)

 

・新渡戸は、東京帝国大学で経済学と植民政策の授業を教えている時、よく教科書から脱線して、より実践で役立つ話をしたらしい(藤井茂・長本裕子『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』257頁参照)。おそらく、上記の言葉は、それへの批判に対して、ユーモアを交えた回答なのだろう。

 

・ユーモアのセンスは大事である。一言で、抗議や批判に笑いで返す。怒りたくても、思わず笑ってしまう。真面目に怒れなくなってしまう。例えば、日本には一休禅師の頓智がある。「一休さん」と呼ばれ、絵本にもなり子供たちにも親しまれてきた。マニュアルや堅苦しい規則ばかりでなく、楽しい、面白い知恵の大事にする豊かな社会であり続けたい。

 

・思い出すのは、椎名悦三郎外務大臣の国会答弁。日米安保条約に関して、アメリカを番犬呼ばわりした椎名大臣に対して、野党が追及すると、椎名大臣は、「失礼致しました。番犬様でございました。」と答えたという。当時の新聞記者たちも面白がったエピソード。

・同じ椎名悦三郎外務大臣は、1965年の日韓基本条約の締結にも尽力された。その時も、社会党の議員から、過去の日韓関係に関し、「深く反省している。」とはどういう意味かと問われ、「しみじみと反省しているということであります。」と答えたそうだ。A quick witのきいた答弁である。

 

・南米コロンビアの外交官。国際セミナーによく遅れてきた。ある時、友人が、「よく遅れますね。」と言うと、「いや、私は一度も遅れたことはない。私は、いつも自分の時間に忠実です。」と答えた。

 

Be wise, rather than be intelligent, or be clever.




2020年8月29日土曜日

新渡戸稲造の至言から(8月29日)

 

829

「飯炊き婆さんに“どうだ分かるか”と尋ねる。“分かる”というと、すぐ次を書くといったようにして書いた。(新渡戸稲造『読書と人生』)

 

・新渡戸は、誰にもわかりやすく書いたり語ったりしたようだ。同時に、お手伝いさん等、職業や地位に関係なく、様々な人から意見を聞いた。偉そうにしない、知ったかぶらないのが新渡戸流だった。

 

・実は、頭の良い人ほど、誰にでも分かりやすく簡単に、難しい事も説明できる。一般人に分かりにくいように専門語を並べたてて、偉そうに話し、分からない人達を馬鹿にするような人は、本当はその事を心底奥深くまで理解していないのかもしれない。

 

17世紀のフランスの哲学者パスカルは、ある侯爵夫人(La Marquise)に宛てて長い手紙を書いた。その最後に、彼は、「すみません。時間がなくて手紙が長くなってしまいました。」と付け加えた。逆説的ではあるが、パスカル言わんとしたことは、時間があれば頭を使ってより簡潔に書けたということだ。だらだら難解に書くよりも、分かり易く短く書く方がより高度で難しい作業だということだ。

2020年8月28日金曜日

新渡戸稲造の至言から(8月28日)

 

928

Sociality(社交性)の本意は人間が一(ひとつ)の動物としてではなく社交的動物として、他の人の邪魔にならぬようにふるまうことである。真の社会では他人のFreedom(自由)を害さぬようにして自分の思う存分にやるのである。」(新渡戸稲造『衣服哲学講義』)

 

・新渡戸の言う「社交性」は、「社会性」と解釈しても良いのだろう。社会は持ちつ持たれつの人間関係で出来ている。人を邪魔せず、自分も邪魔されないのが自由。

 

・「危険、迷惑、嘘、いじめ」、先生が小学生に教えた、やってはいけないこと。

 

・カーレイルの『衣装哲学』は、新渡戸の『武士道』にも出てきた。李登輝元台湾総統が大事にされていた2冊の本が、新渡戸の『武士道』とカーレイルの『衣装哲学』だった。

 

・「大勢の人間が一緒に住んでいればそこにソシャリティーがあり、他人を不愉快にしないようにして自分が世の中を愉快に暮らすにはどうするか。その遣り方が礼だと思う。」と新渡戸は言ったそうだ(藤井茂・長本裕子『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』255頁参照)。礼は、新渡戸が「武士道」の内容の一つとして挙げている日本の徳である。それは単なる丁寧さや礼儀のみならず、人への思いやり、謙虚さ等も含んだ徳である。

 

・「社交性」というと煌びやかな華やかなイメージがあるが、「他の人の邪魔にならぬ」とか「他人の自由を害さぬ」というのは、地味な心掛け、行動である。が、その上で、「自分の思う存分にやる」という点に、積極性がある。行動を重視する新渡戸の考え。



2020年8月27日木曜日

新渡戸稲造の至言から(8月27日)

 

827

「世間には、表面だけは泥水の中に入らないで清いように見えていて、内実は随分乱暴な生活をして、浮名を流す婦人が少なくない。そういう人は賤業婦としての鑑札を取っていないばかりで、大きな顔をして世の中にはびこっている。」(新渡戸稲造、『一人の女』)

 

・新渡戸の言葉は深い。上記をそのまま読めば、表面だけ清らかそうに見えても駄目で、生活態度や内面からきれいであるべき、ということになる。が、上記の言葉の背景には、現在清らかに生活している人に対して、過去の履歴等を出してきて非難している人たちのことを、新渡戸は逆に卑しいと思って述べたようだ(藤井茂・長本裕子『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』254頁参照)。

 

・新渡戸の時代と同じような事が現在でもある。過去を穿り出して、人の人格全てを否定するような情報を流したり、人の不幸や恥部を公にさらすことをしたりする人がいる。同情や共感による励まし合いなら良いが、それが人を助けることにならないこと、まして嘲笑や噂話なら止めた方が良い。

 

・少年院に定期的に講演に行っている友人がいる。その友人によると、少年たちのほとんどは悪い子たちではなく、逆に、一般の人たちより優しい子も多いと言う。だから、その子たちが更生したら、日本社会は快くもっと積極的に受け入れるべきだと言っていた。新渡戸の言葉と通じる。

 

Keep improving yourself, not comparing to others, but comparing to yourself of yesterday.

(自分自身を向上させよう、他人との比較でなく、昨日の自分と比べて)





2020年8月26日水曜日



 826

「男子が自分の細君をめとる場合には、細君とすべき人を選ぶことを第一義として、それ以外のことは付けたりであると思わねばならぬ。」(新渡戸稲造『一人の女』)

 

・夫君を選ぶ時、かつては「3高」(高学歴、高収入、背が高い)が人気があると言われた。しかし、新渡戸は、「家柄、教育、持参金」で選ぶことをよしとせず、あくまで人格が大切であることを説いた(藤井茂・長本裕子『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』253頁参照)。

 

・「美人でたちが悪いのと、不細工でも人柄がいいのと、どちらを選ぶ?」と男性に聞くと、結構、迷うらしい。よく考えた男性は後者と答える。なぜなら、性格が悪いのはなかなか直らないが、ブスでも笑顔は可愛いしお化粧で何とでもなる。

 

・人柄を判断するのは難しい。結局は、その人となら人生の荒波を一緒に乗り越えられそうとか、その人のためなら命を懸けられるとか、その人と人生の最期を送れたらとか、色々な考え方があるだろう。価値観、倫理観が共通することは必要かもしれない。

 

・人生に前向きな人、働き者の人、人から施されるより人に施すことが好きな人等、人を見る目は色々ある。

・「お金は稼ぐより、お金をどう使うかの方が難しい。」と言っていた今は亡きかつての上司を思い出す。億万長者は世界に沢山いるが、本当に尊敬される人とはどういう人か。

 

Money can buy a big house, but not a warm family.


2020年8月25日火曜日

新渡戸稲造の至言から(8月25日)

 

825

「たとい一度でも操を破られたことのある身で、そのまま他へお嫁に行くのは、先方をあざむくように思われるでしょうが、…このことは是非明かさなければならないものでしょうか。」(新渡戸稲造『一人の女』)

 

・新渡戸は、誠実であること、正直であることを大切にしたが、プライバシーも尊重した。特に、女性のプライバシーには気を遣っていたようだ。男女平等ではなかった当時の社会で、女性の立場を理解しつつ、女性の社会的地位の向上に尽力した男性はそう多くないだろう。だから、多くの女性から相談の手紙が新渡戸宛にたくさん届いたのだろう。

 

藤井茂・長本裕子『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』252頁に書かれている13歳の少女に降りかかった事件は、ショッキングである。今日でも起こり得る事件である。未成年の戯れからも、こんな事が起こってしまう。だから正しい心の教育が必要なのだろう。新渡戸の存在は、おそらく多くの女性たちの命を救い、精神的苦痛を和らげたことだろう。現在、新渡戸のような人がいたら、若者たちの自殺は減少するだろう。


・少年少女時代に性的虐待を受けると、一生のトラウマになってしまうことが多い。だから、絶対、児童虐待、児童ポルノ等は許されない。

・どうしても思い出さずにはいられない友人がいる。彼女は高校生の時、身ごもり堕胎するという経験があり、それが一生トラウマになっていたようだ。良き就職、良き夫にも恵まれたが、どうしても再び身ごもることが出来ず、それを苦に、ご主人に申し訳なく思ったのか、自ら命を絶ってしまった。きれいで笑顔の可愛い人だった。(合掌)

・Your life is your own, but it is not only yours.

 (あなたの命(人生)は自分自身のもの、だけど、あなただけのものではない。)


 

2020年8月24日月曜日

新渡戸稲造の至言から(8月24日)

 

824

・「私の友人で、女性に深い同情を寄せている人がいる。その友人のところへは、さまざまの婦人がいろいろの相談を持ち込んでくる。」(新渡戸稲造『一人の女』)

 

・藤井茂・長本裕子『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』によると、この「友人」こそ新渡戸自身であったそうだ。新渡戸は、多くの女性達の悩みを聞き、助言をしてきた。人生の導きを行ってきたそうだ。自慢することなく、「私の友人」というところが、謙虚な(そして、はにかみ屋でユーモアたっぷりの?)新渡戸らしいところだろうか。

 

・今でいうならコンサルタントのようなことを、この「友人」はしていたのであろう。が、おそらく現代のコンサルタントのように費用請求をするわけでもなく、無償で真摯(紳士)に、婦人たちの心に寄り添い、コンサルしていたのだろう。

 

・その時代、女性の社会的地位は男性とは同等ではなく、就職先もなかっただろう。そんな女性達に、まず教育の機会を与えようと尽力したのが新渡戸である。

 

・女性の口コミは、どんな時代も馬鹿には出来ない。良い相談相手がいるということで、その友人には、次から次へと女性が寄ってきたのだろう。


・「女は弱し、されで母は強し」 Though the woman is weak, the mother is strong.

この言葉、実は、Victor HugoLes Miserablesに出てくる言葉らしい。



2020年8月23日日曜日

新渡戸稲造の至言から(8月23日)

 823

「人は常に好意をもっていると信じて、露ほども疑うようなことなく、誠をもって人に接したならば、人もまた誠を現わすものであります。もし中傷的のことを耳にしても、いよいよそれの判然(と)するまでは、いつまでも善意に解することが必要であります。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

・相手を思って行動しても、なかなか理解されず、感謝されないどころか罵倒されてしまうこともある。それでも、誠実に善行を積んでいけば、相手から直接でなくても、まわりまわって自分に善いことがかえってくる。これがご縁(円、〇)というものか。

・人の噂に惑わされず、相手を信じて誠実に付き合う。そうすれば、相手の本音もわかってくる。

・李登輝元台湾総統は、生涯、特に2冊の本を大事にされた。1冊が新渡戸稲造の『武士道』、もう1冊がカーレイルの『衣装哲学』。その李登輝総統の座右の銘は「誠実自然」。

・英語で、善行は、a good conduct、善行を積むは、do a good deed

一日一善は、one good deed a day、慈善行為は、an act of mercy (charity)



2020年8月22日土曜日

新渡戸稲造の至言から(8月22日)

 

822

「人間の平和と幸福にとって、権力愛以上に害になるものが何かあろうか…権威を振りまわしたいという欲望は、動物と同様、人間の中にも宿っている。」(新渡戸稲造『編集余禄』)

 

・権力を利用して、人々のために何をするかが重要だが、その権力が手段ではなく目的になってしまっている人が多い。有名人になること、政治家になること、金持ちになること、それが目標で、そうなったら何をしたいのか、具体的に言えない人が意外と多い。

 

・新渡戸は、権力欲は、動物的(野蛮)で、人々の幸福や平和にとって有害であると述べている。弱肉強食の世界はまさにそうである。そこには、強い者のみが勝者となって生き残る戦いの社会があり、「幸福感」という概念はない。

 

・‘It’s great to be great, but it’s greater to be humane.’

(「偉くなるのも良いが、人道的であることはもっと大事な事である。。」)


2020年8月21日金曜日

新渡戸稲造の至言から(8月21日)

 

821

「およそ国家の基礎は家庭にあるから、報国の道はすなわち家庭の円満、夫婦の相和、親子兄弟の相親に発するということを忘れないようにしてもらいたい。…夫婦は常に真意を打ち明けて、初めて向上と幸福とが得られます。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・人間は一人では生きられず共同体を構成する。その社会の最小単位が家族(家庭)である。家族があり、地域社会があり、学校や会社があり、国があり、地域があり、世界がある。だから、人は生まれた時(赤ちゃんの時)から、人との関わり方を学んで行くのである。

・親子関係は切っても切れない縁である。子供は親を選べない。

・夫婦は、全くの他人が家庭を築いていくわけであるから、;簡単なわけではない。新渡戸は、夫婦が相和するためには、「常に真意を打ち明け」ることが大切だと説いている。すなわち、隠し事をしない、嘘をつかない、ということだろう。これは、家庭円満の基本である。それによって、お互いの信頼関係が築けるのだろう。さもないと、不信が募り、夫婦関係は上手く行かなくなることがある。




今日のことば

 

Not everything that counts can be counted, and not everything that can be counted counts.

大事なすべてのことが数値化できるわけではないし、数値化できるすべての事が大事なわけではない

Albert Einstein




*補足
not+全部を表す言葉で部分否定となります

countという動詞は、他動詞の「-を数え上げる」と自動詞の「大切である」という意味で使われています。
そのほかに「(count on-で)-を頼る、当てにする」などもあります。




2020年8月20日木曜日

新渡戸稲造の至言から(8月20日)

 

8月20日

「多くの人は、男女交際といえば、ただ相手に対する枝葉の事ばかりを気にして、己を修むるという根本の事を少しも思いませぬ。これが大なる間違いで、末のために本(もと)を怠るので、これがため一時は好い事がありましても、永く続くことは覚束ないことと思います。」(新渡戸稲造、『婦人に勧めて』)

 

・枝葉末節より根本が大事というのが、新渡戸の考えである。枝葉は見えるが、根は見えない。しかし、見えないものに本質が隠れている、というのが、新渡戸や李登輝元台湾総統が愛読したカーレイルの『衣装哲学』の内容らしい。

 

・「ありのままの自分を好きになってほしい」というのも、そういうことかもしれない。お化粧して着飾って見かけを繕っても、長続きは難しいだろう。一緒に住めば、それこそ裸の付き合いになる。また、人生を共にする間には、羽振りの良い時期もあれば、苦しいこともある。どんな時でも助け合い、喜び合える相手が、本当のお相手なのだろう。だから結婚の誓いでは、「病気の時も苦しい時も……一生、相手を愛せますか。」となるのだろう。

Keep your eyes wide open before marriage, and half shut afterwards.’(結婚前は両目をしっかり開けて相手を見るが、結婚後は片目をつぶって)という17世紀の英国の神学者トーマス・フラーの言葉を思い出す。


2020年8月19日水曜日

新渡戸稲造の至言から(8月19日)

 

819

「彼のために尽くすのは自分の責任だと思い、成すべき事を成したものと思えばよいのであります。された方ではその志を多として、感謝すべきものであります。…自分のした事を恩にきせるというは宜しからぬことです。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・自分は感謝をするが、人からの感謝は求めない、自分は人の為に尽くすが、人からの恩は求めない、それが新渡戸流の生き方のようです。「恩着せがましくしない」、「恩に報いる」ことを人から期待しない、見返りを求めない真の愛情、ということでしょうか。

・「恩を仇で返す」ことはもっての他。それなら、恩は受けっぱなしのほうが良い。

・人を助けたり、人に良くしたりすることは当たり前の事。だから見返りはいらない。感謝の言葉を頂けたら嬉しいが、なくても構わない。

・お医者様や看護師さんに親切にされ感激した。仕事だから当たり前と言われたが、仕事でも笑顔でやる人とそうでない人がいる。

・「情けは人のためならず」、まわりまわって自分に返ってくるものかも。だから、やるべきことを毎日、淡々とやっていれば、それで充分、神様は見ている、というのが新渡戸の考えであろう。


2020年8月18日火曜日

新渡戸稲造の至言から(8月18日)

 

818

「婦人が生まれる、妙齢になる、人の家に嫁ぐ、子を持ち、遂に老婆となる、これ経糸(たていと)のようなものであります。しかし経糸ばかりでは織物はできません。…日々の心得という緯糸(よこいと)をおさに入れなくては完うしません。…日々の心得という糸は、…謝意の念であります。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・デカルトが「われ思う、ゆえに我あり。」(je pense donc jesuis.)なら、新渡戸は、「我あり、ゆえに我感謝する」(je sui, donc je remercie.)なのだろう。

 

・織物の経糸と緯糸の話では、新渡戸はこんな事も言っている。「婦人が偉くなると国が衰えるなどというのは意気地のない男の言うことで、男女を織物に例えれば男子は経糸、女子は緯糸である。経糸が弱くても緯糸が弱くても織物は完全とは言われませぬ。」(1918年東京女子大学開校式式辞)

・今上陛下も、織物と糸を比喩にご感想を述べられたことがある。2018年、皇太子として最後の海外訪問先フランスからご帰国された後、日仏交流に関して、「多彩な色の糸が織りなす美しい織物に発展しつつあることを、とてもうれしく思います。」とおっしゃった。

・「絹であろうと綿であろうと、また合成繊維であろうと、様々な個性豊かな糸を紡いで一つの作品ができるように、人の社会や人生も、そんなふうにたとえられるのでしょう。……日本語には「歴史を織りなす」という言葉がありますが、オリンピックの第一言語であるフランス語にも、「友情関係を織りなす(tisser les liens d’amitie)」という表現があります。」(鈴木くにこ『日本綿業倶楽部月報』20199月)

2020年8月17日月曜日

新渡戸稲造の至言から(8月17日)

 

817

「自分の周囲の五人でも十人でも、いや自分の一家三人だけでもよいから、その人たちの幸福を計り、その人たちの平和のために尽くしたらどうでしょう。各々がこの心持ちでさえいれば、全人類が幸福に、そして平和に暮らすことが出来るではありませんか。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・新渡戸の理想にすぎないかもしれないが、理想や夢を掲げなければ何事も始まらない。

・「千里の道も一歩から」」、「塵も積もれば山となる」、「一滴の水が集まって大海となる」

・人を幸せにすると、自分も嬉しい。人が喜ぶ顔を見ると、自分も幸せの気分になる。

When you are happy, it makes me happy, I am glad to see your smiling face.

 

Try to make your neighbors happy, so the peace prevails.

2020年8月16日日曜日

新渡戸稲造の至言から(8月16日)

 

816

「吾人は社会の一人で、自己の周囲には大勢の人が沢山いる。これらの人に対して、ただの権利義務の交換ばかりで臨むわけにはいきません。常にその間には何らかの恩を負っております。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・新渡戸が良く説く、感謝、感謝の心。「持ちつ持たれつの関係」。相手がいるから自分の存在もある。

・仏教で、自分は「生きている」のではなく、「生かされている」。周りの人のお蔭。だから、勝手に自殺してはいけない、というお話を聞いたことがある。

・人と人との関係は「権利義務」(契約的)関係のみではいけないと新渡戸は説く。すなわち、そこには冷淡(クール)な関係以上の、心の関係を大事にする新渡戸の思想が表れる。新渡戸は、「思」と「恩」、ThinkThankは似ているかと言っていたそうだ(藤井・長本著『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』244頁)。デカルトは、「考える、ゆえに我あり。」(je pense, donc je suis)と述べたが、新渡戸流に言えば、「考える、ゆえに我感謝する。」(I think, that I thank)ということか。

今日のことわざ

 

Never(Don’t ) put off till tomorrow what you can do today.‬

‪今日できることを明日に延ばすな‬



補足
put off~は「~を延期する」という意味。postponeなどが類語。
~は長いためtill tomorrowの後ろに回っています。😊



2020年8月15日土曜日

新渡戸稲造の至言から(8月15日)

 

 

815

「(ある人の)美しい心が見えるようになると、身体は心の中に入ってしまって小さくなるから、美しい心が大きく見えるのである。」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・昨日(814日)の新渡戸が言わんとするところと同意である。美は、心の内面からなるもの、心を磨けば、顔・外見も美しくなるということ。

 

・美容や美顔に高額のお金をかける人は多いが、「美心」は、意外と無償で誰でもできる手軽な美容方法かもしれない。こぎれい清潔に身を整えているだけで、その人が美しく見えることがある。「垢ぬけている人」とは、まさに「垢」を落としてきれいにしている人のことを言う。日本人の女性に美人が多いというのは、水が豊富でお風呂好きでお掃除をよくしているからかもしれない。

 

・ブランド物(ルイヴィトンのお財布等)を身に着けて、お洒落をして出かけた女性。実は、その人は汚いアパートに住んでいた、という話を聞いたことがある。恥ずかしい。人に見えない所をきれいにしておくことこそ大切。

 

・「交通事故に遭う人は意外と下着が汚い人が多かった。」と聞いたことがある。常に、人に見えない所こそ、きれにしておこう。

 

・鏡で自分の顔を見たら、同時に、自分の心も映してみよう。

 

・朝の洗顔、気持ちいい。心も気持ちもリフレッシュ。


 

2020年8月14日金曜日

新渡戸稲造の至言から(8月14日)

 

814

「美というものは形に現れたものではなく、美をなす業(わざ)であって、無形のものでありますから、心の美が外に現れて美を成すので、そこに美の光が添って醜い顔が美しく見えるのであろうと思われます」(新渡戸稲造『婦人に勧めて』)

 

・「大人になったら自分の顔に責任を持て」というのは、自分の行動に責任をもてと同義だろう。

「人相が良い」とか「人相が悪い」というのも、その人の善悪の行動、心が表れているのだろう。

 

・どんな人でも子供でも、笑顔は美しく可愛い。逆に、怒ったりむすっとしたりする顔はあまり見たくない。

 

・何日か前の新島八重の揮毫「美徳以為飾」を思い出す。

・「美しく年取りたい」とは、なにも美容や外見の話ではない。「内面から美しく年取りたい」ものである。




2020年8月13日木曜日

新渡戸の至言から(8月13日)

 

813

「感応の力にして鋭敏であるなら、至る所有難がらざる場所はなく、見る人ごとに有難がらさる人はない。」(新渡戸稲造『自警』)

 

・人は一人では生きていけない。知らず知らずに、どこかで誰かのお世話になっている。だから感謝、感謝なのである。

 

・「情けは人のためならず」いうが、自分がやったことは、まわりまわって自分に返ってくる。だから善行を積んだほうがお得。

2020年8月12日水曜日

新渡戸稲造の至言から(8月12日)

 


812

「穏かにして滑かなるは人好きのするものなれど、気骨なきまでに柔らかきは頼み甲斐なし。出来ぬことも容易く請け合い、正しからざることをも無造作に引き受ける人は、女子どもの一時の相手、生涯ともに事を計るに足らず。」(新渡戸稲造、『一日一言』)

 

・誰でも褒められれば嬉しい。だから人を褒めることは意外と易しい。でも、言いにくいことを注意して自分を向上させてくれるのが真の友。家族みたいな存在。

 

・新渡戸ははっきりと、優しいだけ柔和なだけでは信頼できる人ではなく、気骨と正義感、正直がより重要だと説いている。そういう相手を選びなさいと教えてくれている。

 

A friend in need is a friend indeed. 「(困難な時に)頼れる友が真の友。」

 

・「女子どもの一時の相手」という言葉に現代人は、「女子ども」を馬鹿にしてと反応する人もいるかもしれない。しかし、新渡戸が女性教育に熱心に取り組んだ実績から、女性を蔑視していなかったことは明らかである。ここでいう「女子どもの一時」とは平時のことを言い、問題ない時は優しいだけの人で良いが、「生涯ともに事を計る」場合、すなわち荒波も来る有事の場合を含め、厳しい世の中を渡るには、「真の友」が必要だということなのだろう。

 

2020年8月11日火曜日

新渡戸稲造の至言から(8月11日)

 

811

「腹の立つのも道理(もっとも)な理由があろう。理由なしに腹立つは狂気の沙汰。理由あるとき腹立つは通常、人のなすこと。理由があっても腹立てぬ人こそ非凡の人。」(新渡戸稲造『一日一言』)

 

・新渡戸稲造は、この「非凡の人」になることを自らに課し、人々にも奨めた。ここで思い出すのが、新渡戸が12歳頃のこと、誤解から叔父にこっぴどく叱られるが、一切弁解をせず、誤解を解く弁明もせず、誤解を招き信用のない自分の日頃の行動がいけないと、人を責めず、自らに言い聞かせた新渡戸青年の話である(藤井茂著『続 新渡戸稲造75話』、「皮の手袋事件」より)。そして、のちに新渡戸が挙げたのが、「見る人の心こころに任せおきて 高嶺に澄める秋の夜の月」。人にどう思われても構わない、ただ自らは清らかに生き、人々の暗い夜道を明るく照らす存在に。

 

説明を追加


・「非凡の人」を目指すのは並大抵のことではない。「仏の顔も三度まで」というように、仏様のような人でも、何度もひどいことをされれば怒りたくもなる。でも、そうしてしまうと、仏様もただの人?

 

・「人の口には戸が立てられない」というように、人は何とでも噂怖さを言う。でも、「人の噂も75日」、堪えるか無視して、自分の道を全うに歩いていれば、怖いものはない。(ただ、「逃げるが勝ち」という言葉もある。「君子、危うきに近寄らず」とも。)

 

・腹を立てるとストレスになるし、エネルギーも使う。腹を立てないことは健康につながる。

 

An angry person consumes lots of energy, so he will get hungry. A hungry person will easily get angry, so it is a vicious circle.

岡倉天心『The Book of Tea』を読む会(第4回と補講のお知らせ)

 NipponIA(ニッポン・インターナショナル・アカデミー)では、 新渡戸稲造の『武士道』を原文英語で読む会に続き、 岡倉天心の『茶の本』を原文英語で読む会を開催しています。 ・1月の講座は延期になり、2月に第4回を以下の要領で行います。 ・また、第1回の補講を、ご希望のより開...